フランツ
エッケルトの仕事

(Franz Eckert / 1852年4月5日-1916年8月6日)

藍川由美

エッケルトは、プロイセン王国シレジア州に生まれ、17歳で陸軍軍楽隊に入りました。1871年にドイツ帝国が成立すると海軍軍楽隊に転じ、第一オーボエ奏者をつとめます。26歳の時、日本の海軍省雇教師募集に応募し、1879年(明治12年)3月に来日しました。翌年、宮内省式部寮雅楽課(以下「宮内省雅楽課」)が募集した『君が代』の作曲審査に携わり、当選作の吹奏楽版編曲を1880年(明治13年)10月25日に完成させています。エッケルトは作編曲家として、また、陸軍軍楽隊、文部省音楽取調掛、宮内省雅楽課などの指導者として、20年にわたり日本で活躍しました。1899年(明治32年)に帰国して指揮者の職を得たエッケルトは、1901年に李王朝宮廷軍楽隊の指導者に転じ、客死するまでの15年間をソウルで過ごしました。

日本におけるエッケルトの代表的な仕事に、1897年(明治30年)に英照皇太后の大喪の礼のために作曲し、昭和天皇の大喪の礼(1989年)でも演奏された『哀の極』(かなしみのきわみ)、国歌『君が代』の編曲、『小学唱歌集』の編曲があります。中でも国歌『君が代』のエッケルト編曲版は現在まで使い続けられています。日本にも数多くの作曲家がいるのに、なぜでしょうか?明治以前の日本では、身分や階級によって享受できる歌舞音曲が異なっており、自国の音楽全体を見渡せる日本人はごく僅かでした。ところが、エッケルトは宮内省雅楽課で約1,200年の歴史をもつ「雅楽」に触れ、研究できる立場にありました。また、平安時代から1,000年以上続く「和歌(わか)披講(ひこう)」のスタイルも理解していました。「披講」では初句を一人で歌い、そのピッチに合わせて、二ノ句以下を全員がユニゾンで歌います。エッケルトはこのスタイルを生かして『君が代』を編曲したのです。「たとえ千万人集まって歌うにせよ、多数の異なった楽器で合奏するにせよ、初句は単一の音をもってしたい。『きみがよは』にはわざと和声をつけぬことにしたので結びにもつけないほうがよろしい」と語っています。

「披講」の伝統に則って初句の「きみがよは」に和声をつけなかったことで、『君が代』の独創性は際立ちました。そのメロディーは、日本統一をはかるヤマト王権が日本にも中国にも存在しない独自の音律として考えた「壱越調(いちこつちょう)律旋(りっせん)」で作曲されていました。「壱越(いちこつ)」とは、ピッチを度外視して言えば、ドイツの音名「D」に当たります。理論上、「壱越=D」を主音とする音階には「律旋(りっせん)」と「呂旋(りょせん)」があり、後者はすでに存在していました。そこでヤマト王権は「壱越調律旋」を国の代名詞とし、日本固有の「和琴(わごん・やまとこと)」を6弦に定めて、調弦を「D-E-G-A-H-D」としたのです。 1880年(明治13年)の作曲募集で選ばれた『君が代』がDで始まりDで終わる「壱越調律旋」として調えられたのは、701年の「大宝律令」以前からずっと同じ王朝が続いているからです。

さて、エッケルトはもう一つの仕事『小学唱歌集』の編曲に「お琴(おこと)」を使いました。「お琴」とは、雅楽で使う「楽箏(がくそう)」を、17世紀頃に一般向けに改良した「俗箏(ぞくそう)」です。ほとんどの日本人は、宮中にあった日本固有の「和琴」を知りません。しかしエッケルトは、雅楽で使われる「楽箏」も「和琴」も知っていました。ヤマト王権が6弦と定めた「和琴」に対し、「俗箏=お琴」は13弦です。元が大陸渡来の「楽箏」ゆえ、「C-D-E-F-G-A-H-C」の7音音階にもピアノの十二平均律にも対応できるとわかっていたのでしょう。日本初の官製の唱歌教材『小学唱歌集』所収の50曲以上の唱歌にエッケルトが編曲した箏二面による伴奏譜が残っています。『小学唱歌集』の大半は、音楽取調掛お雇教師メーソンがアメリカから持参した讃美歌集からの流用だったので、オルガン伴奏譜がありました。しかし、日本でオルガン製造が始まったのは1900年以降(明治後期)で、全国津々浦々にオルガンが普及したのは1924年(大正末期)頃でした。明治初期に唱歌教育を実施しようにも伴奏楽器がなかったのです。その点、「お琴」を使ったエッケルトの伴奏譜は実用的でした。演奏記録には、箏(そう)胡弓(こきゅう)合奏、箏ヴァイオリン合奏といった伴奏もありました。エッケルトは洋楽黎明期の日本が目指した「和魂洋才」の一つの形を結実させたのです。日本の音楽的伝統を生かして編曲された『君が代』は、こののちも演奏され続けることでしょう。

よみがな:
「哀の極 (kanashimi-no-kiwami)」
「和歌 (waka) 披講 (hikou)」
「壱越調 (ichikotz-chou) 律旋 (rissen)」
「呂旋 (ryosen)」
「和琴 (wagon, yamato-koto)」
「お琴 (o-koto)」
「楽箏 (gak-sou)」
「俗箏 (zok-sou)」